出力装置鮭

観たもの読んだものの感想しかない

悪夢のメタ構造

 

※映画『パラサイト 半地下の家族』のネタバレを含みます。

 

 

今日は素足でバッタを踏む夢をみた。

バッタといっても羽が大きくて、全長2cmくらいの羽虫のような形だった。何故それをバッタだと認識したのかは分からない。

私はなんとしても避けたかったのだが、踏んでくれと言わんばかりに足下に出てくるので、なんだかんだで踏んでしまったのだ。

ザラザラしていた。

 

そのあとバッタの大軍に襲われるのだが、あまりよく覚えていない。思い出したくもない。おお恐。

 

外と室内の寒暖差が激しい冬は、どうにも悪夢をみやすいようだ。理由は知らない。実際に気温が関係するのかもわからない。

昨日は真っ黒の人が刃物?を持って侵入してくる夢をみた。

求:安眠

 

まぁ喉元過ぎれば熱さも忘れるものだけど。

 

本題に移ろう。

 

 

かのバレンタイン。

同期と後輩とで映画を観に行った。巷で話題の『パラサイト』を観てみようじゃないの。

ちなみにこの後輩を誘ったのは、料理上手でバレンタインのお菓子をくれるんじゃないかという下心からだったが本当にくれた。ありがとう。メチャ美味しかったです!

 

そういや韓国映画を劇場で観るのは初めてだったと後々気付いた。韓国映画ってあまり日本では大々的に公開しないよね。私が知らないだけかな?

 

 

前情報として、台湾カステラが韓国で流行したけどすぐ廃れて借金抱えた人が沢山いるとか、安いドライバー食堂があるとか、半地下の家賃はかなり安いとか、そんなことを頭に入れていった。

でも、韓国について知らなくても楽しめる作品だった。もちろん、作品を深めるには情報はあればあるほどいいけどね。

 

最初ポスターを見てホラーだと思い、公開してから社会問題スリラー?と聞き、実際観てコメディと格差の哀しさがないまぜになった作品だと思った。

まさに「人生は近くで見ると悲劇で遠くから見ると喜劇」とはこのことである。

 

 

あらすじは、半地下に住む貧乏家族がひょんなことから頭の悪い金持ちの家で働くようになり、最初は好き放題するが次第に埋められない格差に首を絞められていく…というものだ。

ところで、どうして金を持ってる人は上の方に住みたがるのかね?(偏見) 私の地元の田舎も「丘の上」と「丘の下」で地価が違った。らしい。今は人がいないしキッツい坂の上なんか住みたいとは思わないけど。

 

私はどちらかというと半地下根性を持ち合わせているので、貧乏家族の成り上がりっぷりといったら爽快だった。

 

 

物語の最初に、息子の友人が家庭教師先を紹介してくれる。この友人は、生徒の写真を見せながら(携帯に生徒の写真を入れるな)「可愛いだろ。この子が大学生になったら正式に付き合うんだ」とか仰ってやがった(生徒に手を出すな)。

いきなり最悪である。生徒に手を出すとか正気か???塾講師をやっていた身としては、その倫理観のありえん緩さに笑うしかない。

大学至上主義の弊害か、それとも道徳の敗北か。勉強が出来れば何してもいいのか??

いいのかもしれない。学歴主義とはそういうことなのかもしれない。

いい大学に入れてくれるならなんでもしますよ、みたいな。わからん。

 

しかし、この生徒も曲者で自ら大学生講師を誘いにかける。いやでも乗るなよ成人〜〜〜〜〜!!!脳みそ下半身に付いてるのか?????というかこれで息子は友人も雇い主も裏切ったことになるのにいいのか??

自制心のなさバイキンマン以下か?

 

話の初っ端からキレ散らかしてしまったが、こうして狡猾な貧乏家族は世間知らずの金持ち家族に入り込んでいくのである。

 

私の推しは息子の次に家庭教師になりすます娘だ。

冷静沈着、怜悧で機知に富み、道を切り拓く大胆さと賢さゆえのユーモアも持ち合わせている。ひとことで言って友だちになりたい。

愚者の高枕を蹴飛ばす女(概念)、うーん好きだ。

適当なことを言って美術の家庭教師の地位を手に入れたときの「あいつらバカじゃね?」的な言動が良い。自分の賢さに自覚があって、それを上手く使える女はいつだって輝いている。

もちろん、良い意味でも悪い意味でも。

 

あとの父母参戦!で映画はコメディとしての最高潮を迎える。

チリソースティッシュ inゴミ箱は本当に最高でしたね。ああいう、クラシック的な音楽を背景にスローモーションで酷いことが起きてる画が好きなんですけど解る人います?

 

 

後半戦は格差社会の闇が描かれる。

 

差別はどこから始まるのだろうか。

目だろうか?否。耳だろうか?否。ポン・ジュノ監督の答えは「鼻」だ。

 

歴史から見て、醜い見た目は差別されてきた。人間は見た目が何割なんだのという本も発売されているくらいだ。

では、すべての人間の見た目が同じだったら、次はどこに格差が生まれるのだろうか。そう、臭いである。なぜヨーロッパで香水が作られるようになったか、なぜコミケの前は風呂に入れと言われるのか。

それは、臭い人間はそれだけで無条件に嫌われるからである。

声を聞いてもらう、内面を知ってもらう以前の問題なのだ。

 

貧乏家族が金持ち家族に完全にパラサイトしたあと。金持ち:父親から「新しい運転手(貧乏:父)はいい人なんだが臭いんだよなあ(意訳)」と言われる。

においとは自分では気づきにくいものだ。生活臭ともなれば尚更。

 

 

考えてもみれば、私たちは"におい"を生活ないし人生の延長線として捉えている。

 

「嫌。あの人のにおいが染み込んだ家になんか帰りたくない」

例えばこんな文があったとする。ここでの「におい」とは「思い出・記憶」と言い換えることができるだろう。

また、記憶に残りやすいのは匂いらしい。『NANA』でヤスだかミューさんだかが言ってた。早くNANAの続刊出してください。ナナとレイラを!なんとか!!してあげて!!!

 

NANAはいいぞ。夢と憧れとしんどさと辛さとやるせなさが詰まってる。

ちょっと逸れた。そうだ、においの話だ。

 

そういうわけで、においはその人の人生であると言えよう。

映画の「あの人は臭い」とはすなわち貧乏人生の否定なのである。

 

 

作中には3つの住処が描かれる。

坂の上の豪邸、半地下の家、豪邸の地下室だ。

これらが示しているのは、まさしく現代社会に他ならない。

 

坂の上の豪邸に住む人々は「よく陽の当たる」人生を送る。半地下の人々は折を見て地上に出ては「俺はここにいるぞ」と存在を示す。地下室の人間はなるべく見つからないように「いるはずのない幽霊」として生きるしかない。

上手い。上手いつくりだ。アカデミー賞審査員もさぞかし唸ったであろう。

 

ダメ押しと言わんばかりのラストも、動機に関わらず、豪邸の主人は「被害者」で、半地下の人は「加害者」で、やはり地下の人間は最凶悪犯なのにあまり報道されない「幽霊」であることを確認させてくる。

肯定・否定・そもそもない の三つ巴の構造をここまで見事に描ききった映画はそうないだろうと思う。

 

 

悲しかったのは、私の推しの運命だ。

私は、賢くて面白くて機転が利く人が好きだ。そういう人は自分の役割を理解したうえで、掌の上で遊ばせてくれる。

件の頭が切れて現実的で目的のためには手段を選ばない女は輝いていた。愚鈍な人間とゴミの区別がついていないような女は輝いていた。賢い人間はいつだって自分の立ち回りを解ってる。

良い意味でも、悪い意味でも。幕切れのときも。

哀しい。

 

 

ちなみに、最後の最後は少し蛇足じゃないかな~?とは思ったが、地下に堕ちた人間にも希望はあると思えば、アリなのかもしれない。

 

 

 

この話は数日に渡って書いていたのだが、その間にも悪夢を見続けている。

直近の悪夢は身内が死ぬ夢だ。昨日は悪夢じゃなかったかな?覚えていない。

 

胡蝶の夢はみなさんご存知だろう。そして一度は考えたことがあるかと思う。つまり、この現実は誰かの夢なのでは?と。

 

悪夢をみる私がここにいる。

悪夢をみる私は、格差社会という悪夢のような現実を描いた映画を観た。

 

 

悪夢をみる私は、もしかすると誰かのみる悪夢なのかもしれない。

そう思うと今日も寝付きが悪い。