架空感想文 最終回『僕は物語が嫌いだ』
『僕は物語が嫌いだ』(北大宮 愛莉 著)
10回、この企画を書いてきて分かったことは、私は人の喋り声をBGMに出来ないということだ。
耳は弱いが、それでも人の話には耳を傾けてしまう。
そういうことで、今もBGMは音楽を流している。
歌になると歌詞がまったく頭に入ってこなくなるから不思議だ。
喋りと歌、何が違うのかと考えたが、どうも「語り」になるとそっちに意識が向いてしまうらしい。
改めて、自分は誰かの「もの語り」を愛しているのだと実感した。
最後を飾る『僕は物語が嫌いだ』は、昨年卒業を発表したアイドル、北大宮 愛莉の自伝である。
自身のアイドル哲学やステージへの情熱など、13年に渡るアイドル人生を赤裸々に描いたことで話題となった。
オーデションの苛烈さに心が折れそうになった夜、初舞台で湧き上がる胸いっぱいの喜び、事務所とのすれ違い、涙を飲み込んだ卒業ライブ。
この本を読んだとき、一人の少女の覚悟にきっと心を震わせることだろう。
「当たり前」を意識するのは難しい。そうであるのが当然だからだ。
人は意識して呼吸をしないし、意識して瞬きしない。それと同じように、何が「物語」かなんて意識しない。少なくとも私は意識しない。
そもそも、「物語」を明確に定義することができない。
『竹取物語』は物語である。『ロミオとジュリエット』も物語である。ポケモンも物語であろう。友人の話もたぶん物語である。昨日の夢だってきっと物語だ。
ストーリーさえあれば立派な物語として成立する。
「文学は作者の手を離れた(世間に公開された)瞬間に、共有の創作物になる」とは教授の談だ。いや、ちょっと違ったかもしれないがニュアンスは大体こうだ。
私はこれを聞いて、半分閉じかけていた眼からぽろぽろと鱗を零したものだ。
よく国語の問題である「作者の気持ちを述べなさい」に、高校生の私は「知ったこっちゃね~~~!!」と思っていた。
しかし、教授曰く、読者の解釈も文学の一部なのだという。
そう思うと、設問者の解釈もその文学の一翼を担っており、私は創作の創作を読み解いていたということか。やっぱりわけわからんな。
まぁ要するに、解釈も物語になりうる、ということだ。
さあ、いよいよ混乱してきたぞ。
さらに別の話を加えるのであれば、ベクトルもひとつの「物語」である。
どこかへ向かう運動そのものが「物語」だ。
恋愛話も、分解してしまうと誰が誰に矢印を向けているかという話になる。つまりベクトルだ。
成長譚だって矢印が上に向いている話だ。つまりベクトルだ。
死へ向かう人の生さえも、ベクトルである。
精神的であれ物理的であれ、ある方向にむかっていれば全て物語になろう。
『僕は物語が嫌いだ』で例えると、愛莉のアイドルへの情熱、ファンの愛莉への愛情、果てにはアイドルそのものがすべてベクトルだ。
本書の面白いところは、物語が物語を否定しているところである。
北大宮 愛莉は物語の何が嫌いだったのか。
彼女の答えははっきり文中に示されている。
「みんなが思い描く”愛莉”に収まりたくなかった」と。
人生が物語であるのは前述の通りだ。私たちが誰かと向かい合っているとき、それは物語と向き合っていることになる。(さらに、向き合うことで矢印が発生しているので、そこにも物語が生まれる)
アイドル、偶像などは強烈な物語になる。
しかし愛莉は、アイドルという、陳腐な表現をすれば「敷かれたレール」を走ることを拒否した。
彼女の中で、求められるアイドル像は、まるでストーリーありきの「物語」であった。
「もの語る」立場でありながら、物語の創造を否定したのだ。
私は彼女の現役時代を知らないが、「もの語り」を否定し、己の哲学だけを信じる彼女はさぞかし美しかっただろう。
どんなときも「北大宮 愛莉」という唯一の存在を信仰し、望まれる形には収まらないその姿勢、物語は自分の後ろにのみできればいいというその思想が美しい。
彼女の強さに敬意を表すると共に、今後の動向に注目したいと思う。
この本を読み終わったあと、考えることには。
私は物語が好きだ。
誰かの思想の中を泳ぐのが好きだ。複雑な関係を眺めるのが好きだ。脳みそを撹拌して物語を蒸留するのが好きだ。
わざわざこの一連の記事を読むあなたもそうでしょう?
どんな人間も物語から完全に分離されることはできない。
友情のためにひたすら走って、愛のために目を潰し、百年後に百合の花に生まれ変わったとしても。
どんな人生も、物語としての価値をもって”しまって”いる。
※書名・著者名・内容すべて妄想です
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最後に相応しいお題でした。
10回で終わりにするつもりだってどこかで言った??と思うくらいぴったりだった。
ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました!
皆様の溢れるセンスに非常に楽しませてもらいました。
また何かやるときはぜひ遊んでください!!