架空感想文 9冊目『101本のモナリザアネモネ』
人生で一番最初にひとりで読んだ本は、遠山 繁年が絵を描いた絵本『蜘蛛の糸』であった。
グロテスクな地獄と美しい極楽の対比が印象的だ。
これの影響でしばらくの間、蓮は極楽に咲く想像上の花だと思っていた。
「泰衡の首の蓮」の記事を目にしたのは数年ほど前だっただろうか。
なんでも、中尊寺金色堂に収められた藤原 泰衡の首桶に蓮の種子が入っており、それが平成10年に800年振りに開花したらしい。
写真の花は非常に奇麗だった。
しかしこうなってくると、蓮の薄紅は血を吸った色だよ、なんて言われても信じてしまいそうになる。
蓮の葉の下には……。
『101本のモナリザアネモネ』は近未来の美術館を舞台にした小説だ。
品種改良により土の代わりに絵画を養分する花が流行した世界。養分とする絵画によって、花は咲く色や形を変えるようになった。
養分用の絵画が販売されるようになり、歴史的名画の養分化は法律で厳しく規制されることになった。
かの有名な「モナリザ」も、当然のように養分用途は禁止されていたが、ある日何者かによって盗まれ忽然と姿を消してしまった。
キュレーターのシロは、ふとしたきっかけで、そのモナリザを養分にしたというアネモネを手にしてしまう。
アネモネの品種名はつくづくお洒落だなあと思う。
モナ・リザもアネモネの品種の名前だ。他にもセント・ブリジッドやデ・カーンなどなかなか高貴な名を冠している。お洒落だ。
しかし『101本のモナリザアネモネ』の「モナリザ」は、品種名ではなく本物の「モナリザ」だ。
トム・オーカーの圧倒的な描写力で、絵画に根を張る花の奇怪な毒々しさや、花に狂う人々の不気味さを読み手の眼前にありありと突きつけてくる。
ただ甘いだけではなく、スパイスも効いていて、偏食家の人にも満足いただける小説だろう。
101本のバラの花束の意味は最上の愛だが、101本のアネモネは何を指しているのか。
ミステリーともSFとも分類できない、新しい読書体験をこの本は与えてくれるだろう。
「美しいものには毒がある」だったか。
かねてより、花が死やグロテスクなイメージを背負いがちなのは何故かと思っていたが、そういうことなのだろう。
大河ドラマ『麒麟がくる』でも、血を紅葉か何かで表現していた気がする。
死は悲惨である。そして悲惨であればあるほど美しさが際立つのかもしれない。
そう考えると、美しさは相対的なものであるといえよう。
絶対的な美しさがあるのなら、それは単体でも人々を魅了してやまないだろうと思う。
景観などはまた別だとは思うが。
しかしどうだろう。
椿は人の首に例えられるし、「モナリザ」はその絵画に込められた謎やらミステリーやらが芸術品としての価値を高めている。
背景に暗さがあればあるほど、人は魅了されるのだ。
絵画の闇、いわくつきの宝石、人を狂わせる音楽、死を想起させる花。
美や芸術は人間の欲を映し出す鏡なのかもしれない。
101本の欲の鏡は蜘蛛の糸だ。
決して美しいだけでは済まされない。
※書名・著者名・内容すべて妄想です
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架空感想文はじめてから花にどんどん詳しくなる。
次回予告 最終回『僕は物語が嫌いだ』