喉から白に侵される
※映画『ミッドサマー』のネタバレを含みます。
寒い。
ここ最近暖かいと思っていたら突然の冬再来である。加えてウイルスパニックとか勘弁してほしい。企業から説明会中止の連絡が来るし、もう就活どころではない。
控えめに言ってクソである。
こんなときは、全てを投げ打ってどこか暖かいところに逃避したくなる。
そうだ、ホルガへ行こう。
『ミッドサマー』公開日、私は思い付きでレイトショーに乗り込んだ。
私はおとぎ話が好きだ。
小学生のとき、学童の誕生日プレゼントの本は毎年グリム童話を選んでいたほどだ。
今は寝物語として毎晩日本の民話を読んでいる。
とにかく、おとぎ話の鬱屈悲惨な時代背景と、魔法だの愛だのという荒唐無稽な夢物語とのミスマッチが好きなのだ。生きる苦しさを紛らわせる妄想は、一層その悲惨さを際立たせる。
『ミッドサマー』もアリ・アスター監督曰く「おとぎ話のような失恋映画」らしい。そんなようなことを言っていた気がする。
映画の最初にも明確に「おとぎ話」とあった。気がする。
おとぎ話スリラー。いいじゃないの。
物語は主人公ダニーの妹の無理心中から始まる。
この!おもちゃのように家を映すこの感じ!アスター監督の映像美学をビシビシ感じて開幕優勝。本当に映像が綺麗だな〜〜〜!!!
『ヘレディタリー』もこんなに映像が綺麗なホラーあっていいんですか……!?と感動したものだ。もちろんVHS風ホラーもハチャメチャ怖くて好きだ。みんな違ってみんないい。
妹の死体も、恐いけれどもグロすぎず良い塩梅だった。ホラーゲームだったら死体の後ろのメールをチェックしないと進めないやつだなあ、と思った。
ゲームなら、
" Hey Danni. Your sister was dead." (英語偏差値3)
こんなメールを送ったあと、ダニーに会いに行かなくてはいけないやつだ。そして妹の死体に背を向けた瞬間、イベントムービーが入って死んだ妹と強制戦闘するやつだ…!!
そんなことを考えているうちに物語は進み、ダニーの慟哭と共にタイトルが出た。
真夜中の雪の中に、小さくひっそりとMIDSOMMARの文字が浮かぶ。
あたたかくて楽しげな夏至祭とは正反対のオープニングに、脳髄がビリビリと痺れ胸が高鳴った。そうきたか……!
ホラーやスリラーとは日常が悪夢に変わるものだ。だが、これは違う。真冬という孤独や辛さを表す記号から、真夏という豊かさや明るさを表す記号への変化は、どう考えても苦痛からの脱出を示している。
詰まるところ、救済物語の型をとっているのだ。
書きたいところだけ書くのでホルガ村へ行く過程はカットさせてもらう。
ペレかわいい。
ホルガ村ではみんな真っ白の服を着て祝祭の始まりに浮き立っていた。
楽しげな雰囲気に馴染めないダニーは見ててハラハラした。
薬をキメたあたりで「悪い癖」が出ると言っていたが、ヒステリーのことだろうか?咆哮めいた声で泣くダニーに一抹の不安を覚えた。いや、ホルガには十抹くらいの不安と不信を覚えてたけど。
おまじないと聞いて何が最初に浮かぶだろうか。私はミサンガを思い出した。紐が切れると願いが叶う、なんて、昔やったね。
ホルガのおまじないはそんな可愛いものではない。まさにお呪い(まじない)である。ちょっとここでは言えないような方法で恋の成就を願う。
衛生面とか見た目とかえぐいな…と思うが、アイドルが手作りバレンタインを受け取らないのも、こういう「呪い」が実際にあるからだと思うと薄ら寒い気持ちになる。
生物単位でそういう衝動を待ってるものなの???同物同治??胎内回帰???
こわ。
まぁ、そんなこんなでホルガにいると、血を使ったおまじないのタペストリー(?)や、心臓から血を流す壁画など、いよいよ血腥くなってくる。
そこで前半の山場が訪れる。
所謂「姥捨」だ。
ホルガでは72歳を超えると、その生命を村に還すらしい。そして次に生まれてくる子に還った人の名前を付けるとか。
それだけ聞くと少し羨ましくはならないだろうか。要は役に立たない人間の口減らしだが、それを宗教に組み込むことで死も生も祝福するというのだ。
どんな人間でも、死ぬことで村の全員から祝福を受けられる。それだけでなく、村に新たな生命を与えられる。そこに能力や技能、実績、精神性は何ひとつ関係ない。ただ、死ねばいいのである。
ちょっと飛び降りる。それだけで。
人生エンジョイハッピーパーソンの私でも、ありじゃない?その宗教。と思ってしまった。
だってそうすれば、年金だなんだで月に16000円以上も取られることもなく、将来を不安に思うことなく、自分には何もないと劣等感に苛まれることもない。
まぁ私は祖父母にそんなことを強制させたくないので入信したいとは思わないが。でもこれもエゴかもしれないと思うと……。
この時点でホルガに対する不安はあれど不信感は完全になくなっていることに気付き、背筋が凍ると同時にぞくぞくした。
これは洗脳体験ドキュメンタリーだ。
ダニーとその仲間たちはその行為にひどい嫌悪感を示す。その横で、ホルガの人たちは一斉に声を上げて悲しんでみせた。皆同じように、苦しそうに身体を曲げて泣き咽ぶ。
私はここでダニーたちに感情移入できなくなっていることに気付いた。
どうしてこんなに嫌悪するのだろう。
確かにかなりグロテスクではあった。リアルでもあった。だが本人たちが納得して飛び降りているのに文句を言うのは野暮では?そういう宗教ならそういうものだろうに。
飛び降りの儀式でちょっとした映像の仕掛けがあったのだが、これはあとで語ろう。
夏至祭は続き、仲間たちが一人また一人といなくなる。ダニーと彼氏の仲が悪くなる一方で、ダニーは少しずつ村に馴染んでいく。
夏至祭のメインである、メイクイーンを決める"キメる"ダンスは本当に綺麗な画だった。
ダニーは初めての友だち(?)も出来て、本格的に村が楽しいと思ってきたようである。
そう思わされているのかは分からないが。
花のドレスはこれ以上なくロマンチックだが、美しさに留めないのがアスター監督である。顔以外を全て覆った花々は、ダニーを呑み込まんとしているようで一周回って恐ろしい。
あと、綺麗に盛り付けられてたお皿の肉?蠅が集ってたやつ。あれ私は人肉だと思ってるけどどうなんでしょうね。
彼氏の寝取られイベントとメイクイーンの生贄選択が物語のラストなのですが、ここで「共鳴」がその効果を発揮する。
最初、家族が全員死んで孤独に陥っていたダニーの"慟哭"から映画は始まる。
ホルガに着いたばかりの頃も"咆哮"めいた声で泣いていた。
これはすべて独りの声である。
姥捨の儀式ではホルガ全体で悲しみの声を上げていた。
寝取られイベントでも……まぁ……。
彼氏を寝取られたダニーと一緒に村の女の子は泣いた。というか泣き声を真似した。
どうも、ホルガでは声を軸に感情を共有しているらしい。それが「自分を受け入れてくれる本当の家族」たる所以だろうか。
生きながら燃える生贄の叫び声に、ホルガが"共鳴"するところでこの「おとぎ話」は終わる。
ダニーは叫ぶ。ホルガも叫ぶ。
こうしてダニーはホルガの一員となって幸せな人生を歩むのだろう。72歳まで。
めでたしめでたし。
観終わってから考えた。
結局、私はどの目線から映画を「見て」いたのだろう。
ダニーではない。ホルガの誰かでもない。
考えながら思い出したことには。
あの飛び降りの場面で、ホルガの人々の中に入って崖を見上げるアングルがあった。そこで、1人のホルガの女の子がチラ、とこちらを一瞥するのだ。明らかに不自然に。
私は戦慄したと同時に納得した。
私はホルガの一員だったのだ。
早くもう一度ホルガに帰りたい。