メフィスト・ワルツを踊る夜
in風呂である。
今年の目標は「色々なものを観て、色々なものを食べる」だったが、概ね達成できている気がする。
そんなことを思いながらシャンプーをかき回していると、ふと思った。
せっかく色んなものに触れているのに感想を残さないのは勿体ないのでは……?
手首に付いた泡が震える。
思い立ったが吉日、私はシャワーを被って湯船に飛び込み、今に至るわけである。
これを書き上げるのが先かのぼせるのが先か、いや風呂にスマホを持ち込むなって話だけどね。まぁ温かく見守ってほしい。
さっきまで、TVで宝塚月組の『Anna Karenina』を観ていた。美弥ちゃんの色気がやばかった。
話としてはよくある駆け落ち悲恋なのだが、その中で「私たち、愛しすぎてしまったのね……」みたいなセリフがあった。
どうも、世間の目もあり駆け落ち生活が上手くいかなかったようだ。
そこに至るまでに人妻アンナは子どもを捨てて駆け落ちしているわけだが、私はどうしても子どもを捨てる親が許せないので、はい自分勝手の極みが被害者面するな〜〜〜と思って観ていた。
アンカレ好きな友だちごめんね!
最後は最初の場面の伏線をきちんと回収して、こぢんまりと、カタルシスと余韻を残して幕が閉じた。
意外とあっけないと思ったが、このあっけなさこそが悲劇の心臓なのかもしれない。
ここからが本題である。
舞台は風呂に移り、私はシャンプーをかき回す。
「愛しすぎるってなんだろうなあ」
英語的に言うとtoo loveである。宝塚的に言うと破滅を意味する。JK的に言えば「あなたといる時間はとても楽しい」が妥当だろう。
私はどう味わったらよいだろうか。
BGMにチャイコフスキーの弦楽セレナーデを流しながら考えた。(作中で使われていた)
恋という現象は詰まるところ、脳内麻薬が異常分泌されている状態であると思っている。
そういえば、アナコンダに喰べられるとき、人は痛みではなく快感を感じるとか聞いたことがある。アドレナリンが痛みを快感に変換するとかしないとか。ガバガバホラー映画理論感が否めないし真偽の程は知らない。
ただ、人が死に面したとき、激痛をアドレナリンが快感に変換するのは説得力がある。気がする。
だとすると、脳は、恋とは死を感じさせるほどの激痛だと認識している、ということになるのではないだろうか。
なるほど。それなら愛しすぎて破滅も解るかもしれない。実際アンナも自殺した。
死に至る病とはこのことだったのか。
また、こう考えた。
時は21世紀。文明化も進み、ドラえもんが現実味を帯びてきている現代。
もちろん価値観だって少しずつ変化している。不倫は悪いことで、同調圧力は忌み嫌うべき文化になってきている。
それはそうと、変わらないこともある。
感情なんてものはクロマニョン人の時代からほとんど変化していないのではないだろうか。
古代ギリシアローマの文学の中心核は怒りだった気がするし、光源氏と藤壺の悲恋に平安貴族は涙したことだろう。そういえばプラトンも『饗宴』とかいうおじさん恋バナ集を出していた。
そう、恋だの何だのは紀元前から人類の頭を悩ませていやがるのである。""恋""とかいう死に至る病が、数千年前から人類の遺伝子の層に組み込まれているのである。
私は気づいてしまった。
これは大層なことだ、と。
BGMがメフィスト・ワルツに変わっている。
言わば本能の塊でしかない恋は個人の生存本能に因るものだと思っていた。
しかし、どうだろう。こうして見ると、恋とはまるで人類が共有して持ち合わせているものみたいじゃないか。
人類の歴史と共に層となって我々の足元をつくっているみたいじゃないか。勘弁してほしい。文章もめちゃくちゃだ。
わかった。仮にそうだとしよう。
そうなると、もう自明である。
結論から申し上げると、恋とは石油である。
石油だ。
数えきれないほどの人間の恋の上にいま私たちは生きている。と思う。
歴史は層となり過去の恋の化石は凝縮される。そうするとなにが出来るか。
そう、石油だ。
誰しもが求めるし尊ぶわけである。
日常に置き換えてみてほしい。
「恋はした方がいいよ〜」
余計なお世話である。
「石油は使った方がいいよ〜」
仰る通り。反論の余地なし!!
傾国なんて色ボケ甚だしいと思っていたが、実際石油戦争が起こっているのを見ると、その恐ろしさに身震いしてしまう。石油が国を傾けるように、恋だって国を傾けるのだ。
AI化が進み若者の恋愛離れが進む?安心してほしい。石油も涸れる涸れると言われて50年経った。生物として生きた歴史は思うほど浅くないのだ。
私がのぼせてしまうと心配してくれている方々のために言っておくと、実はもう湯船から上がっている。
小1時間もこんな文章を書き続けているのかと私も苦笑を禁じ得ない。
メフィスト・ワルツもいよいよ耳慣れてきた。私はワルツが好きだ。
メフィストといえば、Anna Kareninaの中にゲーテが何度も出てきた。
「人間は神が与えた理性をまったく使っていやしない」とはファウストのメフィストの言葉である。
ゲーテは伏線だったのかといまやっと気付いたが、本当にそうかはわからない。メフィストに踊らされているだけなのかもしれない。
まぁファウスト読んだことないんだけどね。