出力装置鮭

観たもの読んだものの感想しかない

漂泊の思い、未だ止まず


コロナのせいでいつもにも増して生ぬるい生活を送っている。
今夜中にESを書かなくてはいけないのだが、まったく気が乗らないのでこうして文字を打っている。
観劇予定もすっかりなくなり、最近観た映画も私的に微妙で、とりあえず閑話休題。リハビリとして好きなことを書き綴ろうと思う。

ちなみに最近観た映画は以下である。
『A CURE FOR WELLNESS』
『ウィッチ』
前者は不気味な話が好きならまぁ…私はとっ散らかった脚本があんま好みじゃなかったです。
後者は時代考証がガチで空気感がとても良かった。幸運ファンブルしまくりのTRPGって感じ。ただそこまで刺さらなかったね。


さて。
何を書こうか迷っていたが、私の妄想旅行計画を聞いてほしいと思う。


あれは高校2年か3年のときだったか。もしかしたらもっと前かもしれない。
きっかけは草枕を読んだからか、突然頭に降って湧いたからかも覚えていない。
ともあれそのとき、自身に詩情がまったく備わっていないことに気づいてしまったのだ。

私は詩を軽視していた自分を恥じた。

カルピスでいえば、原液が詩で水割りが文章だというのに。
私は原液をそのまま飲む贅沢を知らなかったのだ。
教養の土壌が貧しかったために、カラオケのほぼ水カルピスこそが本物だと思い込んでいた。
ああ情緒よ、君を泣く。君死にたまふことなかれ。


そして私は旅に出ようと決めた。

まず最も足りないのは自然を解する心だと思ったのだ。

山を見ても「山だなあ」、田んぼを見ても「カエルだあ」。
あゝ無情。君死にたまふことなかれ。

盆地に育ち早20年、山とはそれなりに心を交わしてきた(?)はずなのに、残念なほど何も育まれていないじゃないか!

もう自然のど真ん中に放り出されるしかない!!!


そして私は旅に出ようと決めた。


私は電車が好きだ。
ゆらゆら揺れるのが心地よいのと、座っているだけで移動という目的を果たしているのが楽でよい。

だから、電車で遠くの田舎まで行きたい。

ノートとペンと財布、本当は置いていきたいのだがもはや生活の一部なのでスマホ、あとウォークマンだけ持って。
なんとなくよさそうな電車に乗って、終点まで揺られて、詩情が沸いてくるまで夕暮れを眺めていたい。
落日を誰そ彼と呼び、さざ波の向こうに金星を見つけたい。私はロマンチストなんだ。

日が暮れたら温泉付きの旅館に戻り、その日感じた自然について書き付けておく。
軽トラの荷台で野宿も捨てがたいが現実的に難しい。

夜は星を見上げて、星辰の調べに耳を傾けるのだ。
視界の端に溶け込む漆黒の山々に背筋を震わせながら、少し冷たい夜風を鼻先で受け止める。
そうすればきっと、自然の心も近づくんじゃないか、と。


雨の日もいい。
曇り空はどこまでも落ち着く。
昼に目覚めて、傘を差して、また鈍行に乗り込む。

終点で降りて、また夕日を追う。

雲に隠れた落陽を想う。


ひとり分の足音を雨音に乗せて、地球とひとつのリズムを奏でよう。

 

最近思うことには、種田山頭火の俳句はやけに沁みる。
「分け入っても分け入っても青い山」最も有名だが、私はこれが一等好きだ。

まず「分け入る」で視界が開ける感じがある。
しかし、どんなに視界が開けても同じ景色が広がる、という終わりのなさが山の深さや恐ろしさをよく表している。
世にも奇妙な物語で「峠の茶屋」という話がある。これはなかなか怖い話なのだが、この句もそんな趣を隠し持っている気がする。
それでいて爽やかにまとまっているのが実に秀逸なのだ。


こんなふうに自然を表現できるようになりたいものだ。

 

そろそろESを書かないと本格的にまずい。
ということで、今日はこのへんで。