架空感想文 3冊目『ネモフィラの咲く頃』
『ネモフィラの咲く頃』(梶本 三治 著)
人生の最期に添える花は何が良いだろう。
私の一番好きな花は向日葵で、特別な花はカラーだ。
どちらも春夏の花だからか、見ているだけで明るい気持ちになる。
いざ考えると迷ってしまうが、私は最期には向日葵を選びたい。
今日は『ネモフィラの咲く頃』について書いていこうと思う。
これは岸 恒太郎の『瑠璃唐草の森』を基にしており、幻想的な雰囲気をそのままに、より切ない物語に仕上がっている。
時は第一次世界大戦直前のアメリカ。国費留学生の草助とマリアは郊外の森の中で出逢う。戦争の開始と共に草介は、マリアに何も告げられないまま日本に帰国することになってしまう。戦争が終わった10年後、草助は思い出の森を訪れる。
ネモフィラは一年草であり、次の年に同じ花を咲かせることはない。
同じように見えても、それは違う個体の花なのだ。
では人間はどうだろうか。
小学校のクラスメイトと20年ぶりに同窓会で会ったとき、「やあ久しぶり、見た目が変わってまるで別人だなあ」なんて声をかけるシチュエーションもあるだろう。
しかし、声をかけた人の中では小学校のクラスメイトと20年ぶりに会った人は本当に「別人」であり、名前や仕草から同じ個体だという連続性を見出しているに過ぎない。
同一とはつまり連続していることなのだ。
そう考えると、去年のネモフィラと今年のネモフィラは、まったく違う細胞から成っていても人の中では「同じ」ネモフィラだと認識されているわけだ。
この「連続性」は『ネモフィラが咲く頃』の重要なテーマになっている。
陸軍少尉の父をもつ草助は、シベリア出兵に赴いた際に顔の左半分を負傷してしまう。
見た目がすっかり変わってしまった草助は塞ぎ込むようになり、まるで「別人」のようになってしまう。
一方でマリアも、ユダヤ系差別を受けて内面に大きな変化が起こる。
優しいだけの少女ではなくなり、人権闘争の先頭に立つ強い女性に変わっていった。
長年抱き続けていた相手へのイメージが崩れるとき、その胸に浮かび上がるのはどのような感情だろうか。
それでも想い続けるのは何故だろうか。
愛に連続性はあるのだろうか。
ちなみに、『瑠璃唐草の森』と『ネモフィラの咲く頃』はラストが大きく異なっており、前者は二人で森に消える(心中を示唆)最後となっている。
幻想小説を得意とした岸 恒太郎らしい最後といえるが、梶本はここに改変を加えることで現代作家としてのプライドを見せつけた。
私の好みでいえば原作のラストの方が好きだが、新しいラストの、誰もいない教会で草助の棺桶の中にネモフィラを敷き詰めるマリアの画は非常に美しいと感じた。
花ほど初恋の墓標にふさわしいものもないだろう。
※書名・著者名・内容すべて妄想です
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ネモフィラってどんな花?と調べて、ちょうど今の時期の花だと知った。
オシャレッッッッッ!!
花言葉や名前の由来も調べた。
オシャレッッッッッ!!!!
次回予告 4冊目『医学の落とし穴』